風島風邪尾

よろしくお願いいたします

Narcissisme

       「至極真っ当な人生を送ってまいりました」

 

どこかで聞いたその節に高木少年は訝しく思った。彼は自己陶酔に陥っているだけで本来中身のない人間だなと誰よりも悟っていたのは、限りなく月並み凡庸であることを自他ともに認めていたあの高木である。成績は3を連ね、部活やクラブ活動には励むことなく、保健委員としていそいそと校内の石鹸を詰め替えていたあの少年である。友人はいないわけではないが、知己のような人物はおらず、軒並み昨日初めて出会いましたと言われても、違和感を感じさせないほどである。家庭は一つ上の師範学校に通う兄がおり、父は陸軍退役後地元の軍人会に加入し、母はパアトとして近所の雑貨屋丸善で働く。そんな平凡な彼が、昌緑尋常小学校で名を馳せていた小川くんの舞台演劇の台本読みを、暗く影を落とした学校終わりの廊下から盗み聞きをしたのは、二学期も終わる頃であった。今年の冬は、極寒列島を迎えると寂れたホテルのジュウクボツクスの如く堀の深く端正な鼻を持つアナウンサアが疲れた顔で話していた。昨日の家庭科で雑に扱ったまち針の復讐ではないかと思わせるような寒風が吹き付ける中、口を窄め体を丸めて一人忘れ物を取りに来たのである。彼の教室は3階にあった。長い廊下の突き当たりで、かなりの距離を歩かなければならない。老朽化で廊下の窓枠は少々歪んでおり隙間風が我が物顔で突き抜けてくる。寒さに堪えながら暗澹とした教室の前に来た時、小声で何か朗読する声が聞こえてくる。顔背丈に似つかわしくないほどの極小の卑近な形をした耳を磁石のようにぴたりとドアにつけ、その声を聞いた。途端、このセリフが耳に入ったのである。クラス委員を務める小川氏の声は瞬く間に認識できた。彼は、終業式後に控える学芸会『人間讃歌』のプラクチスに励む最中であった。この台詞ののち、静まり返る教室の様子から高木はこの台詞がフィナアレであることを悟った。「何と卑近で矮小な表現なのだろう、世俗的な能力というのは必ずしも芸術に還元されるものではないのか」と湧き上がる笑みに任せ声を出した。途端、ドアが開き小川とまなこを付き合わす。「おやおやどうも、素敵な学芸会心待ちにしておりますよ。」噂をすれば影がさすという有りふれた台詞に頭が支配され、俗物に成り下がるしかない自分の卑近さを呪った。